『アルメニアを知るための65章』はこのシリーズには珍しく対象に心を入れ込んでいるような(特に虐殺など歴史問題において)強い印象を残したが、その著者によるもの。この本でも、抑圧側に立つ人々への視線はとても厳しい。(もちろんそれはそうあるべきだ。)言語においてあるものが特権を持ってはならないという、それはカフカースのみならず、例えばウクライナでもそうなのだろう…。
率直に言って、強烈にアルメニア寄りであり、さらにレーニン時代のボリシェヴィキの民族政策には共感を示しているようだ。だから、スターリン以降のソ連・ロシアには非常に批判的であり、「長い間被って来た不公正・差別に対する抵抗から生じたアルメニアの民族主義と、「反アルメニア」の排外主義的敵対を組織してきたアゼルバイジャンの民族主義を「民族主義」一般として同一視」してはならないとする。グルジアの起こした数々の争乱にしてもロシアとの関係というより自らのマイノリティー抑圧主義によるものだと厳しい指摘がある。やはり、考えさせられることの多い本だった。
率直に言って、強烈にアルメニア寄りであり、さらにレーニン時代のボリシェヴィキの民族政策には共感を示しているようだ。だから、スターリン以降のソ連・ロシアには非常に批判的であり、「長い間被って来た不公正・差別に対する抵抗から生じたアルメニアの民族主義と、「反アルメニア」の排外主義的敵対を組織してきたアゼルバイジャンの民族主義を「民族主義」一般として同一視」してはならないとする。グルジアの起こした数々の争乱にしてもロシアとの関係というより自らのマイノリティー抑圧主義によるものだと厳しい指摘がある。やはり、考えさせられることの多い本だった。
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