ポルーニンの映画はドキュメンタリーなんだな。一瞬東京国際映画祭で観た「天才バレエダンサー~」が公開決まったのかと思った。>あけましておめでとうございます - | UPLINK http://www.uplink.co.jp/news/2017/47238 @uplink_jpさんから
そのときの感想
そして、昨日、セルゲイ・ポルーニンのドキュメンタリー映画、新宿武蔵野館で初日初回を観た。
パンフレット
チケット
チケットホルダー(前売りについていた)
初日プレゼントのバレエ・ジュレ
ポルーニンは、ヌレエフっていうよりマラーホフという感じ
お父さんはガルマシュみたいな俳優風でカッコいいし、お母さんは教育ママの昔より現在の方がきれい。
そりゃ天才は悩むよね。
芸術のためにも、プライベートな事でも。
家族との問題(学費を稼ぐために、父や祖母が外国に出稼ぎに行き、果てに両親は離婚)も別に彼だけってわけではない。
(旧ソ連圏では離婚は決して珍しいことではないんだけどね。子どもの才能を伸ばすために親元から離れた都市の学校にやることも当然といえば当然なわけで、オセチア出身の”ロシアの至宝”アラン・ザゴエフなんぞを思い起こしていた。)
でも、自分の才能をまずは愛する人たちの幸せのために捧げたいと素朴に思っていたのだろうに、逆に一家離散になってしまったことに、彼はいたく傷ついた。
こういうところが彼の個性なのだろう。
ポルーニン、最初からモスクワとかピーテルに行ってロシア式に学んでいたら、こんな風じゃなかったよね。
観ていてつくづく動きのしなやかさがロシア人ダンサーのそれだなと思うのだが。
それこそゼレンスキーのようになっていたかも。
(ゼレンスキーみたいにコミカルな役もやっているのだろうか?やって欲しい。)
少なくとも、故郷(ヘルソン~映画「ひまわり」の撮影地だったともいわれるウクライナ南部の都市)にずっと帰れないということはなかったのではないか。
でも、お母さんは息子の修行先としてキエフの次にはボリショイやワガノワを考えないわけはないから、そうならなかったのは、願書を出しまくったバレエ学校のうち合格したのがロンドンのロイヤル・バレエ団で、ボリショイやワガノワなどは合格しなかったか条件がロイヤルバレエ団ほど良くなかったのか、なのかもしれない。
天才ダンサーの身体表現の妙と努力の一端を示すドキュメンタリーとしては中途半端だったかもしれない。
なぜドラッグに頼るのか?等彼の内面に迫るものではない以上(家族の問題には深く踏み込めないのだろうが)、もっともっと舞台を見せてダンスを堪能させてほしい。
ただ踊ることが楽しかったという少年時代の映像は、今観ると痛々しい。
非凡な才能を持つダンサーの苦闘。美しい肢体(パヴリュチェンコと同様いくら美形でもタトゥーは許しがたいとコンサバな私は思うわけだが)が超絶の身体能力と感情表現を繰り広げる。のだけれど、それがドラッグに頼ってのものとなると(冒頭で示される)魅力も減じる。
苦悩の中身もその実を孤高の天才は示さない寂しさ。
華麗な舞台の裏にあるタレントの生活を覗くというスタイルのドキュメンタリーはたぶん今までにもいろいろあって、正統派のロパートキナの場合だと、ひたすら美の世界に酔えたのだが、彼は「大丈夫か?」「これからどうなる?」「世話になった人を裏切って自分も傷つくのでは?」「お父さんと思いっきり抱き合ったか?」等々いろいろ心配なまま終わった。
こんなだったら、ただただ彼の舞台を映して彼の踊りを堪能して陶然としたかったと思いつつ、彼の行く末に幸があり続けるように祈ってやまない。
やっぱりパヴリュク似だと思う。
新宿武蔵野館・Bunkamuraル・シネマで上映
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